旧陸軍第8師団山田野演習場(3)

(2)和開トーチカ


山田野廠舎から和開地区にあるトーチカに向かう。
山田野廠舎跡から南に進み、県道31号弘前鯵ケ沢線を弘前方向に進む。建石町で右折して県道39号長平町森田線に入り、しばらく進むと「和開」の標識があるので、そこを右折すると和開地区に着く。

DSCF0567
和開地区の北側にある二ツ森山。山の南側が頂上まで農地になっているのが特徴で、すぐにそれと分かる。

DSCF0572
二ツ森山の頂上に残るトーチカ。
トーチカとは、演習の際に砲弾の着弾地点を観測するためのコンクリート製の陣地で、正確には「観測掩壕」、「監的壕」と呼ばれる。
このトーチカは、1935(昭和10)年の特別機密演習のために構築されたといわれている。

DSCF0575
トーチカは、南側に出入口があり、東、西、北の3方向に観測用の細長い窓が開いている。
動画も作成したので暇なときにでもどうぞ。
YouTube Preview Image

(3)猿沢トーチカ

和開トーチカから猿沢トーチカへ向かう。
和開地区から県道39号長平町森田線へ戻って南に向かい、県道30号岩木山環状線を弘前方向へ向かってしばらく進んだ後、左折して砂利道を北に進むと猿沢トーチカに着く。
DSCF0586
道路から見るとこんな感じで、夏草に覆われていて、一見してこれがトーチカだとは判りにくい。
和開トーチカはコンクリート製であったが、猿沢トーチカはコンクリートの構造物の上に土が被せられて擬装されている。

DSCF0600
北側からトーチカに接近するが、コンクリートは全く見えない。

DSCF0595
南側に回ると、草の間からわずかにコンクリートが見え、観測用の窓が確認できたものの、全体を把握することは難しかった。ここは、草のない時期を選ぶ必要がある。

参考までに、これが草のない時期のトーチカの姿。南側だけに観測用の窓がある。

ウイルスバスター公式トレンドマイクロ・オンラインショップ

旧陸軍第8師団山田野演習場(2)

(1)山田野廠舎跡

山田野廠舎跡へ向かう。
山田野廠舎の面積はおよそ5万坪と言われ、兵舎などの建物が建っていたが、戦後、跡地は開拓されて農地となり、廠舎のあった一帯は、現在では「北開拓」と呼ばれている。

※廠舎とは、屋根だけで壁がない仮の建物。特に軍隊が演習の際用いる宿泊施設。露舎。

yamadano-map
上の地図は山田野廠舎の現況図で、「山田野-陸軍演習場・演習廠舎と跡地の100年-」から引用したもので、ピンクの文字を加筆している。

道沿いに山田野廠舎の杭域に入って行くと、まず目に入るのがA地点の井戸である。
DSCF0540
非常に深い井戸だったようだが、現在は埋められており、コンクリートの井戸枠と釣瓶の基礎が残っているだけである。

DSCF0546
B地点にある「旧第9号兵舎」。北側から撮影。
現在は、農機具の倉庫として使われている。

DSCF0542
「旧第9号兵舎」を南側から撮影。
山田野に廠舎が建てられたのは1907(明治40)年前後とされており、1911(明治44)年5月に火災で焼失し、同年に再建されており、この「旧第9号兵舎」はその時に再建されたと推定されている。
今年で建築後104年になるわけで、実際傷みも激しい。

DSCF0544
「旧第9号兵舎」の全景。
「旧第9号兵舎」の大きさは、間口が7.5m、奥行きが68mある。
演習場が現役の時代は、この兵舎が12棟あり、1棟には200名程度収容できたようだ。

旧陸軍の平時編成では、歩兵1個中隊は、将校5名、下士官10名、兵卒120名、看護手1名の136名(戦時編成になるとこれよりも人数が増える場合がある)であり、この兵舎1棟で歩兵1個中隊を収容できた。(ただし、将校は将校宿舎を使用する。)
1個連隊は12中隊で編成されていたので、12棟の兵舎でちょうど1個連隊を収容できた。

戦後、演習場が開拓地となると、山田野廠舎の建物は、まずは入植者の住居として使用された。
その後、学校用の建設資材として転用されたり、入植者に払い下げられたりする過程で、多くの建物は失われていく。
しかし、この第9号兵舎は、1947(昭和22)年にこの地に新設された「東鳴沢中学校」の校舎となったことで解体を免れ、1960(昭和35)年に鳴沢中学校に統合されて閉校するまで校舎として使用された。
その後は、近隣の住民に払い下げられて、一時期は豚舎として、現在は農機具置き場として、50年以上使われ続けてきたのである。

DSCF0556
これは、C地点にある旧将校宿舎である。
現在は物置となっているが、近年まで住居として使われていたようである。

DSCF0559
廠舎の敷地の東側。道路の左に低い土塁があり、その上に木が植えられている。

WS000003
1975(昭和50)年の空中写真でみると、山田野廠舎の周囲には木が植えられ(おそらく土塁もあり)周辺と明確に区画されていたようである。

DSCF0560
これは、D地点の正門跡である。夏草に覆われているが、ここだけ土塁が切れており、木も植えられていないので、門があったと分かる。

DSCF0563
正門跡を進んでいくと、旧衛兵所が残っている。正門に立つ衛兵の待機場所だったところである。
もともとは木造だったようだが、住居として使われている間に、壁にモルタルが塗られ、屋根はトタン葺きに改造されている。

次回に続く。