中里高校~旧今泉土場

中里高校~旧今泉土場

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右の空中写真は昭和50年に撮影されたもので、よく見ると津軽森林鉄道の軌道跡がわかる。(写真にマウスを重ねると赤線で軌道跡が表示される。)左の地図とほぼ同じ縮尺にしたので、位置関係がよくわかると思う。

金木から中里の区間は、軌道跡は水路に転用されていることが多かったが、この区間は主に道路に転用されていることがわかる。

P1000653 中里高校の校門を出ると、そこは国道339号(A地点)である。ここからは津軽森林鉄道廃止後に、軌道跡を利用したバイパスとなっている。
旧道は国道の東側の集落の中を通る道であり、拡幅の余地が全くないために、集落の外側を通っていた津軽森林鉄道跡を利用して、新たに道を造ったものである。

P1000654Cimg0803 この道は軌道跡を利用しているだけに、しばらく直線が続いている。
この国道のすぐ西側に用水路(上の写真)があり、私は当初はこれが軌道跡だと思っていたのだが、過去の空中写真との比較から道路が軌道跡であると確信するに至った。
最近は、国土地理院のホームページで過去の空中写真を閲覧できるので、地図の比較だけではよく分からない部分の確認ができるようになった。これは廃線の調査の貴重な資料となるはずだ。
Cimg0993 薄市川を渡るとまもなくB地点に、津軽森林鉄道の薄市本線跡がある。未舗装の細い道として存在しているが、100mほど先で畑となり、軌道跡に消防屯所が建っていたりするが、そのあとは道路として利用されている。
ここにはかつて薄市営林署があり、写真正面の山の裏が貯木場となっていた。距離も短くどうみても枝線としか見えないのだが、支線とは言わず敢えて本線ということからすると、津軽森林鉄道建設当時はかなり重要な場所であったのだろう。
しかしながら、その廃線は意外に早く、昭和36年の20万分の1地形図では、もう存在していない。

P1000655P1000656 B地点からまもなく、C地点で道が東側に曲がり始める。道路を造る際に、C地点からD地点までの間は既存の道路の拡幅で対応したためだ。この区間は人家も少なく、既存の道路の拡幅の方が効率的であったのだろう。
道路とならなかった軌道跡は、築堤がそのまま残っている。

P1000657 軌道跡はその後も確認できるが、まもなく宅地やビニールハウスなどで遮断されてしまう。それを過ぎると、土地改良事業により軌道跡は水田と化してしまい、全くその位置を確認できなくなってしまう。

P1000660 D地点付近で軌道跡は再び道路として利用され始める。その間は上の写真のように、一面水田となってしまっているために、かつての津軽森林鉄道の跡地は全く分からない。

Cimg0806-a そして、国道339号として利用されて、E地点で今泉に到着である。

これで、津軽森林鉄道本線67kmを1周したわけだが、、一部が土地改良事業により水田となっていたり、道路の改築等によりその位置が分からなくなっている部分もあるが、大部分が道路あるいは水路として現在も利用されていることが確認できた。
2009年は、津軽森林鉄道の完成(明治42年=1909年)からちょうど100年目に当たる。鉄橋や隧道など明治の近代化遺産として、今後積極的に保存されるよう関係機関に期待したい。


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