金木~藤枝
津軽鉄道の高架を抜けると、右に橋が見えてくる(地図A地点)。この橋を右に進むと金木の中心部に入っていく。軌道跡は金木の中心へは向かわずに直進である。
橋を過ぎるとまもなく地図B地点で国道339号と合流する。この国道は昭和40年代にバイパスとして造られたものであり、開通は津軽森林鉄道の廃止後である。
そのため、B地点から次のC地点までは軌道跡を利用して国道が造られたようだ。
地図C地点で国道から左へ分かれる細い道がある。国道はこの先急な坂道となるので、この細い道が軌道跡のようだ。
この細い道はほぼ平坦な場所をまっすぐに進んでいく。道路の幅から見ても軌道跡に間違いない。
さて、せっかくここまで来たのだから、ちょっと寄り道をして金木の民俗資料館(地図D地点)へ行ってみよう。ここには、かつて津軽森林鉄道を走っていた車両が展示保存されている。
ここに展示されている車両は厳密にいうと本物ではないのであるが、昭和42年まで走っていた車両を忠実に復元したものである。
この車両は昭和30年に製作された「酒井C-19型5屯機関車」である。6,120ccの125馬力ディーゼルエンジンを搭載し、50tの牽引力があり、最高時速20km、平均時速15kmで走った。
このスピードだと一流のマラソンランナーの方が速いな・・・・。映画「飢餓海峡」でも主演の三國連太郎が走っている森林鉄道に飛び乗るシーンがあったが、このくらいの速度なら十分可能だろう。
ところで、飢餓海峡に登場する森林鉄道は一部では津軽森林鉄道だと言われている。しかし、映画に登場する鉄橋や周囲の地形からみると下北半島の川内森林鉄道ではないかと私は考えているのだが・・・・。
この客車は総ヒバ造りで、地元の大工が手作業で製作したものだそうだ。主に山林作業員や要人輸送用であったが、戦後の一時期は金木~市浦を客車として営業運転したこともあったそうだ。
それでは再び軌道跡に戻ろう。
これまでは道路だけだったのだが、地図E地点から用水路が道路の右側に現れた。しかも、用水路をよく見ると道路よりも一段高く、築堤の上に水路があるのだ。
つまりこの水路は、津軽森林鉄道の軌道跡を利用して造られたものなのである。
この辺りの水田も土地改良事業が行われているが、津軽平野の中をまっすぐに走る軌道跡は、用水路として利用するのに最も適していたということなのだろう。
地図F地点で水路と道路が交差するのだが、水路はここで一旦消えてしまう。道路の地下を通っているのであろう。
なお、水路の左側の築堤「は津軽鉄道である。かつては森林鉄道と津軽鉄道が並走していたわけだ。
同じF地点で津軽鉄道は道路を高架で越える。車が1台やっと通れる幅しかない。
F地点を過ぎると再び水路が現れる。こちらも軌道跡を利用したものだ。水路の脇を通る道が左側から右側に変わっている。