上の地図は現在の青森市の地図、下の空中写真は昭和50年である。
昭和50年では農地が多いこともあって鉱山軌道跡はまだ鮮明に分かるのだが、それから30年以上も経つと、宅地化が進行して地図上では軌道跡は全く消えている。
この中で位置が変っていないのは、C地点のJR東北本線との交差点、D地点の県立盲学校、E地点の国道4号青森東バイパスとの交差点である。
これらの地点を目印になんとか軌道跡を見つけ出すことができるだろうか?
まず、C地点のJR東北本線との交差点と思われるところ。
この辺りで交差していたことは明らかなのだが、B地点からC地点まで歩いてみたが、宅地開発によって道路が新たに作られているために、軌道の痕跡さえ見つけることはできなかった。
次にD地点の県立盲学校。
写真の左が県立盲学校であるから、この道路付近に軌道跡があったのは間違いない。ただ右にあるスーパーマーケットの敷地に軌道跡が飲み込まれているようだ。
さて、D地点を少し先に進むと、一直線に見通せる空間があった。位置的にも軌道跡とほぼ一致しているように思われるが、特に道路として使われているわけではないので、軌道の幅などは分からないし、これが軌道跡という確証はない。
さらに前へ進むと、一部道路のようになっている。これはかなり軌道跡の可能性が高のではないか?
その先を延長すると、大坂組ビルの敷地を通り、国道4号と交差するE地点に到達する。
国道4号を渡ると、そこには水田の中にまっすぐに延びる一本の道が残っていた。水田よりも高くほぼ台形状に盛りがっている。明らかに築堤されたものであり、これが鉱山軌道跡であることは間違いない。
E地点からからは道路として使われているようで、軌道跡には轍が刻まれているが、途中で轍が消えてしまう。
その先も緑の帯として軌道跡が残っているが、F地点で軌道跡上に柵がある。ここまで歩いてきたところは、どうやら私有地になっていたようだ。
しかも、その先には赤い家が建っている。
赤い家の後ろへ回ってみると、そこには川が流れていて、なんと橋台と思われる構造物とその先に築堤された緑の帯が続いている。
川を渡って、先ほどの赤い家を見ると、台形状の橋台がしっかりと残っている。この家は鉱山軌道上に建っているのだ。
この橋台は鉱山軌道が確かにここにあったという証拠でもある。
橋台を過ぎると緑の帯が続く。もう少し進むと道路として利用される。正面に見える山は東岳である。
さらに進むと橋が架かっている。この橋もかつての鉱山軌道の橋台を利用して架けられている。
しかし、その先のG地点で軌道跡は資材置き場となっている。軌道跡はこの中を野内川に向かってまっすぐに進んでいるはずであるが、資材置き場にはフェンスでl囲まれているので侵入は不可能だ。
ここは軌道跡の捜索を諦めて、H地点の野内川へ向かうことにした。