六郎隧道~旧今泉土場(その2)

六郎隧道~旧今泉土場(その2)

imaizumi-2

25000分の1地形図「薄市」(国土地理院地図閲覧システムより引用・加工)

Cimg0526 旧道から農道となった軌道跡に入ると、まもなく小さな川が流れており、その上に小さな橋が架かっている(地図A地点)。小さいながらも鉄橋である。

Cimg0527 橋の下を覗いてみると、森林鉄道時代のものと思われる古い橋台があった。この橋の構造を見ると、もともとあった森林鉄道の鉄橋の上に、廃レールを利用して新たに橋を造ったように見える。

Cimg0528 軌道跡は、休耕田の中を農道となって続いていく。築堤されているため、周囲の休耕田よりも一段高くなっており、軌道跡であることがはっきりと分かる。

Cimg0529 軌道跡は微妙にカーブしながら、ほぼ直線的に今泉へ向かって進んでいく。

Cimg0530 軌道跡は、かつては農道として利用されていたものの、道の両側には現在農地として利用されている土地は存在しないようである。

Cimg0531 調査をしたのが5月初めであったので、軌道跡はまだ草に覆われてはいないが、自動車もほとんど通っておらず、夏場になれば草に覆われてしまうかもしれない。

Cimg0532 軌道跡を進んでいくと今泉川に進路を遮られる(地図B地点)。最近河川工事が行われたようで、護岸もまだ新しい。仕方がないので、県道へ出て今泉川を渡り対岸へ向かうこととした。

Cimg0533 対岸へ行ってみると、そこには枕木もしっかりと残っている鉄橋があった(地図C地点)。

Cimg0534 鉄橋の下には、今はU字溝が設置されているが、この鉄橋はもともとは今泉川に架かっていたようだ。その後、河川改修工事により、今泉川が現在の場所に付け替えられたようである。地図でも、近くに廃川跡が確認できる。

Cimg0536 橋は、ほぼ森林鉄道時代のままのようであり、レールを敷けばまだ十分に鉄橋として利用できそうである。

Cimg0539 鉄橋の側の舗装路を渡ると、軌道跡が再び続いている。

Cimg0540 しかし、先ほどまでは自動車の轍が軌道跡に刻まれていたのだが、しばらく進むとほとんど轍がなくなってしまう。

Cimg0542 特に山際を通る辺りでは、自動車通ることはほとんどないようで、夏場は草に覆われてしまうのかもしれない。

Cimg0543 軌道跡を進んでいくと、前方に塀があり、道が右にカーブしている(地図D地点)。

Cimg0553 塀の中は私有地であり、ある会社の資材置き場になっている(地図E地点)。
近所の人に確認したところ、この会社の敷地がかつての今泉土場であるという。森林鉄道はこの資材置き場の中を通っていたということだ。

Cimg0560 旧今泉土場の現在の姿。もはや、かつての姿を想像することはできない。

Cimg0974 旧今泉土場(地図E地点)を出た津軽森林鉄道の本線は、山裾に沿って進んでいく。途中で相内支線が合流してくる。
写真上は地図F地点から相内支線跡を相内方向に向かって撮影したものである。いかにも軌道跡という直線的な道路となっている。
地図上ではこの先に橋が架かっているのだが、河川工事により川が廃川となっており、橋は既になくなっている。

imaizumi-40 昭和40年の地図を見ていただくとわかると思うが、ここは本線と相内支線がデルタ線となっていたところである。

Cimg0973 相内支線はここで2方向に別れて、それぞれ本線と合流する。これによって、相内支線をやって来た列車は、本線の両方向へ進むことができるとともに、本線上の列車もここを使って進行方向を変えることもできる。
かつてのデルタ線のもう一方の軌道跡は、どうも家と家の間の空き地のようだ。

Cimg0555 同じ場所を角度を変えて見るとこんな感じ。家と家の間が広く空いており、これが軌道跡のようである。左の家の奥が旧今泉土場跡の資材置場である。
本線は家の後ろを山裾に沿っており、これに相内支線が合流していた。

Cimg0556 相内支線と合流後は軌道跡はしばらくは舗装された道路となっている。

Cimg0557 軌道跡はやがて未舗装の道路に変わる。そして地図C地点で国道339号と交差する。

Cimg0806 地図G地点で軌道跡は国道と合流する。昔の地図や航空写真を比較検討してみると、G地点付近では軌道跡が国道敷として利用されているようである。

ここまでは、青森から今泉まで順を追って紹介してきたが、次回からは終点の喜良市貯木場から軌道跡をたどってみることにする。


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