相の股隧道(今泉側坑口)
相の股隧道の今泉側坑口は、青森市森林博物館の説明によれば現在その存在が確認できないということであった。昭和50年の空中写真を見ると軌道の痕跡を 見つけることができる。しかし、隧道の坑口は見つけることができない。もっとも、写真の撮られた時期が夏のようで深い緑に覆われており、蟹田側も確認はで きない。
ところがである。
山行がのヨッキれん氏とミリンダ細田氏が調査した結果、今泉側の坑口も現存することが確認されたのだ。
相の股隧道の蟹田側坑口から今泉側坑口へ移動するため、県道の旧道を戻る。
地図A地点の旧道に架かる橋、名前は砂川橋、昭和32年3月竣功である。この道路が地図上に登場するのは、昭和28年発行の5万分の1地形図である。それまで、このルートには車道がなかったようである。
右側の道は現在の県道である。現在の県道は旧道が通っていた山越えを避けて、大きく迂回して山の最短部分の地図B地点をトンネルで抜ける。
このトンネルが大平トンネルで1999年7月の竣功である。このトンネルの完成によって、蟹田と今泉の間が通年で通行可能になったのである。
大平トンネルを過ぎて400mほど進み、道路の右側の擁壁が途切れると、大きな沢が現れる。
周りの地形や、川の位置などを調べてみると、どうやらこの沢の奥に相の股隧道の坑口があるはずなのは分かっていた(地図C地点)のだが、すでに存在しないという情報を信じて、これまで調査しなかったのだ。
ところが、ヨッキれん氏の調査でその存在が確認された以上、ここはぜひともその存在を確認しなければ・・・
坑口に接近を試みようとすると、以前にはなかったはずの道ができていた。木材の搬出のために新たに造られたらしく、道には石が敷き詰められており大型トラックでも十分走れそうである。
以前は藪に覆われていたところもすっかり刈り払われている。このまま進めば、坑口が必ずあるはずだ。
ついに、坑口が見えてきた。坑口付近の法面はしっかり固められており、廃止後数十年を経ても草木が生えていない。
坑口の反対側を見ると、かつての森林鉄道の路盤もしっかりと残っている。
さて、坑口に接近するには下に降りていかなければならない。高さは3mほどだが、傾斜はおよそ60度ある。しかも、こちら側の法面は、まったく固められておらず、草木が生えており、地盤も軟弱で足場になるようなものが少ない。
木の根を足場にして、木の枝につかまりながら、ゆっくりと降りていったが、最後は足を滑らせて下まで落ちてしまった。
晴天が続いていた後であったのに、軌道跡には水が溜まりとても軟弱で、足を踏み入れると靴が泥の中に沈んでいく。
地形が沢であるために、常に水が流れ込んでいるのだろう。森林鉄道の現役時代、保線作業はさぞ大変であったと思われる。
坑口は半分泥に埋まってしまっている。蟹田側にあったレンガのポータルはこちらにはない。コンクリートの坑口が土の中から突き出ているだけで、その上には土砂が堆積して草木が生い茂っている。
トンネルの中は泥が堆積しており、10mほど先で閉塞している。
ここで気づいたことは、トンネルに継ぎ足したような跡=白い線が見られることだ。
この部分を拡大すると、明らかな段差があり、もともとの坑口に後で継ぎ足したと思われるのだ。
そして、一部茶色に見えている部分は、もともとはレンガではなかったのか・・・・
この相の股隧道は、日本で最初に開通した森林鉄道のトンネルだ。技術者の意気込みも相当なものがあったのではないか。
この意味で、蟹田側には立派なポータルがあるのに今泉側にないというのは不自然だ。
現在の坑口の位置をみると、坑口の上の斜面よりもかなり前にあるのがわかる。
これは、全くの想像であるが、そもそもの坑口は、蟹田側と同じように斜面の真下に造られたのではなかったか。ところが、周囲の地盤が軟弱で、この坑口は 度々土砂崩れに襲われたのではないか。特に春先の雪解けの時期には雪とともに大量の土砂が流入してきたに違いない。
そのため、度々坑口が塞がれたために、その解決策として坑口を延長した。その結果、もともとのレンガのポータルは土砂の中に埋没してしまったのではないか・・・・
坑口からは、軌道跡がはっきりと確認できる。幅はおよそ2.5m。車1台分の駐車スペースといったところである。
軌道跡は完全な湿地であり、この上を歩くのはちょっと無理だ。雪解けの時期ともなると大量の水が流れ込むであろうから、この時期の森林鉄道の運行はさぞ大変であったに違いない。
この後、再び右の斜面を登らなくてはならなかったのだが、これがまた一苦労。調査の際のアドバイスとしては、ぜひとも10m程度のロープの持参をお勧めする。