A地点、軌道跡と思われるところに家が建っている。近くにはバス路線の終点「上滝沢」があり、近くを川が流れている。みちのく有料道路への分岐点もすぐ近くだ。
家の裏は川があり、そこには橋台が残っていた。この家はまさに鉱山軌道上に建っているわけだ。橋台と周囲の法面保護用のブロックが一体となっている。
川の対岸にも橋台が残っている。こちらにも軌道上に小屋が建っている。小屋の前にいたおばさんに鉱山軌道について聞いてみたが、他の地区から嫁に来たので昔のことは何も知らないとのこと、残念・・・・。
川を渡ると道は二手に分かれる。鉱山軌道跡は右の未舗装の道だ。
この道路だが、築堤の跡は見られず、単なる農道にしか見えない。軌道跡には間違いないとは思いつつも、やや不安なところも・・・・
道を進んでいくと1軒の農家があった。農家の人に「ここをトロッコが通っていましたよね?」と確認したら、「ああ、通っていたよ。」という返事。
先ほどの農家のビニールハウスと車庫の前を通る軌道跡。この先には普通の家はないとのことだが、現在も採掘を続けている鉱山が1か所あるようだ。
車の轍だけが残っていて、いかにも廃線という感じに戻った。写真で見るとよく分からないが、築堤がされている。
そのまま軌道跡を進んでいくと、正面にKDDIの携帯電話の基地局がある。この手前のB地点で、道は県道「清水川滝沢野内線」に向かって曲り間もなく合流する。
しかし、携帯の基地局の左側には笹藪で覆われているものの、明らかな築堤が確認できることから、軌道跡はこのまま直進しているようだ。
笹藪を突破したら、突然草の生えていない部分が現れた。中央が盛り上がっているので築堤上であることは確かだ。前方に見える笹藪に向かってみる。
すると、そこは一面笹に覆われた斜面だった。木が全く生えていない斜面。どうやら、ここが鉱山軌道の終点付近にあった東栄鉱山の跡のようだ。かつては、ここに選鉱場もあったというが、今ではその跡は全く見えない。進入したいのはやまやまだが、深い笹藪は人の進入を拒否している。
県道から東栄鉱山の跡を眺めてみる。かつてあったであろう鉱山の施設は全く残っていないようだ。かつて、ここには八甲田山中の高森鉱山から索道が敷設され、運ばれてきた鉱石はここで鉱山鉄道に積替えられて浪打駅まで運ばれた。
このレポートを作成するに当たっては、地元出身のI氏がら貴重な情報を提供していただきました。改めて御礼申し上げます。