野木和公園付近の旧線の存在

青森飛行場の拡張と津軽森林鉄道の付替え

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上の2枚の地図を見比べていただきたい。左が昭和17年発行50000分の1地形図「油川」、右が昭和29年発行50000分の1地形図「油川」である。赤線はどちらも津軽森林鉄道である(わかりやすくするため赤で着色している)が、明らかに線形が異なっている。
ここで、黄色で囲んだ部分に注目していただきたい。昭和17年と昭和29年では明らかに形が変わっている。昭和17年は針葉樹記号、昭和29年は水田記 号となってはいるが、実はある目的のために作られたものが、後に大幅に拡張された結果なのである。そのものとは何か。それは飛行場である。
昭和初期、東北地方をおそった大凶作に対し、政府は農民救済土木事業の一環として東京(羽田)-札幌間の定期航空路開設を計画、青森、仙台、札幌への飛行場新設を昭和7年臨時帝国議会で決定した。
青森飛行場は油川に設置されることに決定し、昭和7年(1932年)11月17日着工、翌8年3月30日竣工した。以後、青森県内唯一の民間飛行場として、県内旧制中等学校に設けられた滑空部(グライダー部)の訓練場などとして利用された。
当初予定されていた東京-札幌間定期航空路が開設されたのは昭和12年4月1日であり、大日本航空輸送株式会社によりフォッカー・スーパー・ユニバーサ ル型機(6人乗り)が就航した。しかし、戦争の激化に伴い、昭和15年7月に航空路は閉鎖され、飛行場も陸軍に接収された。
戦争末期になると、飛行場は市民の勤労奉仕により大規模に拡張され、八戸に本部を置く第66飛行場大隊青森分遣隊が駐屯したが、航空部隊が実際に配置されることはなく、本土決戦に備えての機体、燃料、資材等の隠匿場所として利用された。
津軽森林鉄道は、飛行場拡張の際に支障となったため、昭和17年度に飛行場を迂回する形 に付け替えられた結果、182m延長されて、総延長は67,108mとなった。
なお、昭和17年の地形図で、青森市の「森」の字付近から南へ伸びている軌道は、新城支線である。

野木和公園付近の旧線の存在

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Cimg0564 ここは以前にも登場した地図A地点である。

P1000797 ただ、2008年末の段階では、ここに登場する橋は撤去されてしまっている。工事の看板が道を塞いでいる。これから下の写真は橋が撤去される前のものです。

Cimg0565 A地点からは、細い道がまっすぐに延びている。これが津軽森林鉄道の旧線である。

Cimg0569 A地点からまもなく小さな橋が2つ連続して架かっている。

Cimg0567 この2つの橋の橋台はどちらもコンクリートでできているが、かなり古いものである。もちろん、木の橋は架け替えられたものであろうが、津軽森林鉄道に由来するものと考えてよさそうである。

Cimg0572 ここは地図B地点、新城支線との分岐点である。本線は直進して、まもなく地図C地点で行き止まりとなる。

Cimg0574 新城支線は、左折した後、国道280号バイパス手前の前方の白い建物のところで行き止まりとなる。
A地点からC地点までの本線区間とB地点からの新城支線は、廃線後少なくとも60年以上経過しているはずであり、これだけ明瞭に残っているのは驚きである。
なお、新城支線については、実はもうすでに別のページでも登場しているのだが、また別の機会に紹介したいと考えている。

Cimg0578 さて、C地点で一度途切れた旧線であるが、C地点からまっすぐに線を延ばしていくと地図D地点に至る。ここを左に進むと野木和公園、直進する細い道が旧線である。

Cimg0581Cimg0582 D地点からは、いかにも森林鉄道跡と思われる細い道が続いている。ここも廃線後60年以上経過している。

Cimg0583 地図E地点で道は左折する。昔の地図によれば旧線はさらにまっすぐ進んでいるはずである。ちょうど、白い小屋のあたりに続くようだ。

Cimg0586 E地点から線を延ばしていくと地図F地点に至る。ここで旧線は付け替えられた線と合流することになる。

以上の結果から、推定した旧線の経路は、地図上に示しているが、青線(新城支線はピンク色)が現存する軌道跡、緑線が推定される軌道である。


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