旧青森貯木場~津軽線交点

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25000分の1地形図「油川」(国土地理院地図閲覧システムより引用・加工)

旧青森営林局(青森市森林博物館)

Cimg0124 津軽森林鉄道完成の1年前の明治41年に青森産のヒバ材で造られたルネッサンス様式の旧青森営林局庁舎(現在は青森市森林博物館、地図A地点)である。後方の茶色の建物は2代目の青森営林局庁舎である。青森営林局は、その後林野庁の組織再編で東北森林管理局青森支局となり、その青森支局も平成17年3月をもって廃止となった。現在は青森市役所分庁舎となっている。
青森営林局は、沖館川の河口に作られた。上の写真の手前の道路が国道280号で、中央を流れているのが沖館川である。営林局の後方及び上左の写真一帯は、現在は住宅地や商業地となっているが、かつては青森貯木場であった。

Cimg0126 写真の手前が営林局側で、中央の道路は国道280号である。道路の右側一帯が青森貯木場である。かつては道路沿いには木材がうず高く積まれていた。この奥のあたりが津軽森林鉄道の起点であった。

Cimg0104 青森森林博物館には森林鉄道で使用されていた車両が保存されている。
これは、協三工業4.9tディーゼル機関車(昭和36年製)は、かつて下北半島の川内森林鉄道で使用され、その後大畑森林鉄道へ移管されたものである。 大畑森林鉄道廃止後は、しばらく薬研温泉で保存されていたが、青森森林博物館開館の際に移された。

Cimg0105 これは、昭和28年に青森運輸営林署が製作した「あすなろ号」である。これは津軽森林鉄道の内真部支線の終点にある眺望山の現地視察や見学者の輸送に使われたものである。その後眺望山キャンプ場で保存されていたが、同じく森林博物館開館時に移された。
客車の後方は、運材貨車(鉄製)であり、昭和28年に大宮富士工業で製作されたものである。これも薬研温泉で保存されていたものを移したものである。

Cimg0089 これは、津軽森林鉄道にあった2つのトンネルのひとつ「六郎隧道」の銘板である。ただし、現在はトンネルの位置は確認できないということである。

 

旧青森貯木場~津軽線交点

Cimg0084 津軽森林鉄道の青森側起点(地図B地点)である。ここにはかつて、青森運輸営林署があった。
B地点には踏切があり、国道280号を横断していた。

P1000767 これが往時のB地点の姿である。(写真は2008年に青森市森林博物館で開催された津軽森林鉄道写真展で展示されていたものを利用させていただきました。)

Cimg0083Cimg0131 中央をまっすぐ進む細い道路が、かつての津軽森林鉄道である。
左の写真でもわかるように、道幅はかなり狭い。乗用車2台がすれ違うことはかなり困難である。これでも一方通行ではないところが不思議である。
このあたりは、津軽森林鉄道がまだ走っていたころからすでに宅地化が進んでおり、かつての鉄道敷地がそのまま幅で残されている。

Cimg0133Cimg0135 津軽森林鉄道碑(地図C地点)である。ここは沖館仲通りと津軽森林鉄道が交差する地点であり、その真ん中に石碑がある。裏側には津軽森林鉄道の歴史が刻まれている。
津軽森林鉄道は、石碑に向かって左側を進む。

Cimg0136 ここ(地図D地点)までは、かつての鉄道敷地の幅がそのままの形で残されている。
この通りに面した家は、ごく新しい家を除くと、玄関がこの通り側にないのである。かつては鉄道が通っていて出入りができなかったから、当たり前かもしれないが、廃止後40年近くを経てもそのままであるのが面白い。

Cimg0137 こちらは、D地点の反対側を写したものであるが、この先については、しばらく片側1車線の道路となっている。そのため、単なる住宅地の中を通る道路と化しており、かつてここを森林鉄道が通っていたと想像するのはむずかしい。

Cimg0140 こちらは、新城川に架かる「岡田橋」(地図E地点)である。銘板によると、竣工は1978年10月であり、津軽森林鉄道廃止後10年を経て作られたものである。河川改修も行われており、かつての橋台などは残っていない。

Cimg0141 ここは、JR津軽線との交差地点(地図F地点)である。
現在は、写真の通り道路が津軽線の地下を通る形になっているが、昔の地図を見ると、津軽森林鉄道を津軽線が陸橋で越えていたことがわかる。


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